東京未来戦略

『東京の未来戦略』(東洋経済新報社、2012年)より抜粋
現在の日本にとって東京は最大の都市である。それは人口規模、経済規模、その他情報の集積など、おそらくあらゆる分野においてトップのシェアをもっていることで明らかである。しかし、この日本最大の都市は、世界的視野でいかなる地位を得ているのであろうか。

■ 世界都市と東京

現代の都市研究の分野における最高の権威としての評価を受けている地理学者で都市計画家でもあるロンドン大学のピーター・ホール教授は、著書『世界都市』(1966年)の中で、「数ある大都市の中には世界の中枢的業務が過度に集中しているものがある」と述べた。ホールは、かつてパトリック・ゲデスが著書『進化する都市』(1915年)の中で、「世界で最も重要なビジネスの極めて大きな部分が集積しておこなわれる大都市」のことを「世界都市」(world city)と命名したことを念頭におき、現代における世界都市のあらたな定義を試みたのである。

たとえば政治権力が集中し、強力な行政府があり、さらに国際機関も含めて政府関連業務を行なう多数の機関が集まっている場合などである。しかも政治・行政の集中だけでなく、経済活動の国家的中枢の役割を担い、そのための基盤施設として大きな港湾を備え、道路や鉄道網が集中し、そして国際空港が立地されていることが不可欠である。しかも世界都市は、伝統的にその国家の主要な銀行業務や金融のセンターとなってきている。

こうした基本的要件に加え、医療、科学技術に関する代表的な大学や研究機関と豊富な人材を有することも要件とされている。さらに情報の収集・伝達の場として、マスコミのネットワークの指令機能であるへッドクオーターを持つことなどもその要件となる。

80年代に、経済活動が世界的スケールで活況となると、世界都市論議が盛んになった。とくに、口火をきった都市計画家であるカリフォルニア大学のジョン・フリードマン教授の『世界都市仮説』(1986年)は、世界都市の存在が、国際資本の集中・集積と国境を越えた労働力の移動の発生にあり、それをコントロールし得るのが世界都市であり、そのため、世界都市は一つの複雑な空間上の都市の階層構造の中に組み込まれることを述べた。すなわち、ゲデスが命名した世界都市は中核的な国における第一次都市であり、このほかにも、そうした国での第二次都市群(ミラノ、マドリッド、トロントなど)、さらには、準中核的な国における第一次都市や第二次都市があることなどを提唱した。

最近では、経済のグローバリゼーションの進展を背景に、とくに経済ネットワークの中心地、すなわち世界規模で行なわれている商取引のサービスセンターとしての役割を持つ都市を世界都市と呼ぶことが多い。そこには先導的な証券取引所、世界資本のための巨大な市場、高度な情報インフラ、国際市場向けのビジネスサービスが完備されていることが要件となる。その意味では、大英帝国以来の首都であるロンドン、大国アメリカ最大の都市ニューヨークが、世界都市の本家であることは自他ともに認めるところである。そして、その一角に、東京が加えられたのである。

いわばこの世界都市は地球上のあらゆる地域と国家を超えて経済メカニズムと政治メカニズムとの相乗効果の上に成り立って存在しているもので、20世紀末までにはその代表的な都市がニューヨーク、ロンドン、パリ、そして東京となった。1991年、コロンビア大学教授のサスキア・サッセンは、著書『グローバル都市-ニューヨーク、ロンドン、東京』において、初めて「グローバル都市」(global city)という表現を用いた。日本語では、同じく世界都市と表現されるが、1980年代以降、国境を持つ国家にとって代わって地球上の政治と経済を動かす存在としての世界都市が出現することになったのには理由がある。金銭と物資の動きが有機的に融合を始めた地球上にあって、それを具現化するためのビジネスと金融活動のセンターが必要となり、これらが人的移動も含めて国境を越えた活動のなかで必然的に育成されることになったことがあげられる。すなわち、国際的な分業体制の中での新たな集積をもった空間が形成されることになったのである。サッセンはそれを捉えて、金融、高次法人サービスなどの活動こそが国際都市のヒエラルキーを左右し、世界都市を形成する要因として重要性をもつものと説明した。経済活動の地球的な規模での分散が同時に地球規模の統合、コントロール機能の形成を促しており、こうしたセンター機能が集積する少数の都市こそグローバル都市だとした。

1980年代のバブル経済期に東京がこの世界都市の一つとして世界に認知されたことは、戦後の劇的な経済の復興を成し遂げた日本が作りだした大きな成果とも言える。しかし、このような東京の地位は、過去の歴史をさかのぼると、実は初めてのことではなかった。17世紀末、ロンドンとパリの人口はおおむね50万人であったが、その時の江戸の人口は80万人であり、当時、世界最大の都市であった。そして、現代においても都市圏で3500万人を擁する世界最大の巨大都市である。

本書では、この巨大都市・東京が、これからいかなる未来を有しているかを大胆に問いただしたものである。

■ グローバル都市TOKYOの知られざるすごさ

第1章では現在の東京の立ち位置を認識する作業を行った。そこで用いた尺度は、2008年から森記念財団の都市戦略研究所で着手した「世界主要都市の総合力ランキングーGPCI」である。このランキングでは、都市の主要な6つの機能である経済、研究開発、文化交流、居住、環境、交通アクセスについての69の指標の分析から、都市の総合力を評価している。それとともに、都市にかかわりをもつ5つのグループの人々からの評価も行っている。21世紀に入って激化する国際都市間競争の下では”グローバルアクター〟をいかに惹きつけるかが大きな課題となった。グローバルアクターとは、国境を越えて活動する人々を指すが、その対象としては、経営者、研究者、アーティスト、そして観光旅行者である。また、グローバルアクターには該当しないが、都市の運営にとっての主役である生活者も都市の評価には有効である。

さて、このGPCIでトップを占める四大都市、NY、ロンドン、パリ、東京の都市の総合力はどうであろうか。東京の特徴は、経済分野でニューヨーク、ロンドンをしのぎ、知と技術の集積によって研究・開発分野で差をつけるが、文化・交流分野では、得意不得意にばらつきがある。しかし、東京人にとっては快適な居住環境があり、〝すごい〟を日常化する環境水準の高さや、交通アクセス分野における緻密な交通ネットワークの整備と驚異的な運航頻度がある。

こうした高水準の都市機能の存在の下で、様々なアクターがシステムの一部として機能するから東京は強いのである。

■ 見えてきた東京の成長の限界

 ところが、こうした東京にもその成長の限界が見えてきたことは否めない。第2章では、過去の実績と、これからの不安という視点で考えている。これまでの東京は、①効率性、正確・迅速性 ②多様性 ③安全・安心性において、世界の中で図抜けた水準を誇ってきた。現在の東京で生活する上場企業会社員Aさんのつぶやきは、「あと少しの我慢で人生ゲームのゴール目前だ」に集約される。老後に見えてきた年金生活、しかし、子どもと親の将来を憂う部分もある。それでも、不満や不安はあるけれど、高齢化の波の中で、自分もなんとか人生を全うできるのだろうかというものであった。

しかし、こういった漠然とした不安が、現実のものとなるのではないかという事象が見え隠れし始めている。世界四大都市の中で東京は4位の地位に甘んじ、5位のシンガポールがその差を縮めつつある中で、経済指標に見る世界最大の都市の〝息切れ〟が感じ始められるのである。東京からグローバル企業はなぜ流出し、そしてどこへ行くのか。

たしかに、東日本大震災の後に、日本への外国人訪問者の減少は起きたが、しかし震災だけが主因ではないことを知っておかねばならない。さらに、人口構造では、先進国に共通の問題ではあるが、東京も避けられない「4人に1人は老人」という現実がある。また、内向きになる若者たちの〝鎖国感覚〟と不公平感もマグマのように噴き出し始めている。さらに、巨大都市の不都合な真実として、老朽化するインフラにのしかかる維持更新費の問題がある。これらが繁栄を誇る世界最大の都市にとっての現実である。

■ 東日本大震災の東京への影響

 そうした状況下に、2011年3月11日、発生したのが東日本大震災である。第3章ではその時、東京で何が起きたのかを解説する。戦後最大の揺れを経験した東京の被害状況はどうであったか。過去の教訓に学んだ耐震化の成果はあったのか。そして、史上初の帰宅困難発生。その時、都心にいた340万人はどう動いたのか。幸いに、東京では大きな被害は発生しなかったが、結果として、この大震災で東京の中で安全な場所、そうでない場所が明らかになった。

また、不幸にして発生した原発事故のリスクと東京は無縁ではなかった。そして、震災による国際競争力への影響はどうだったのか。さらに、きたるべき首都直下地震で東京は一体どうなるのか。そして東京都の震災マニュアルで大丈夫なのか。

こうした多くの疑問に、現段階で考えられる答を用意した。

■ アジアのライバル都市

第4章では、国際舞台で猛追するアジアのライバル都市たちの状況を概覧した。

世界の大都市での開発のダイナミズムを象徴する超高層ビルの数をみると、上海と東京の開発スピードの差は〝ウサギとカメ〟であることが分かる。さらには、国力の趨勢に直結するアジアの国際ハブ空港競争が、シンガポール、香港、上海、ソウル(仁川)、そして東京のあいだでますます激化している。

そのアジアの都市間競争のなかで、〝魅力〟を創出して人材の誘致を目指すシンガポールの戦略はきわめて合理的である。リバビリティを備えた新しいタイプの金融センターとしてのマリーナ・ベイ地区の開発や、MICEによる国際集客拠点を目指すセントーサ島の開発は、現実を見据えたスケールの大きなものである。

そして香港では、中国市場へのゲートウェイを担うコンパクト・シティを目指した計画が実施されている。空港から24分の〝世界に一番近い〟ビジネス街であるIFC/ユニオンスクエアや、最上級オフィスの供給不足を一挙に解消する九龍東・カイタック空港跡地の開発が進められている。一方、サムスン、LGを育てたソウルは東京以上の一極集中であるが、大胆なインセンティブで外資を呼び込む経済特区―IFEZや都心部の金融センター・ヨイド地区の開発が進んでいる。また、空港整備も含めたソウルから50km西方に位置するインチョンでの大規模開発は、東アジアでの覇権をにらんだ最優先の国策となっている。

これらの開発が進行する中で、では東京はどうすればよいのかを考えさせるのに十分な都市戦略の羅列である。

■ 4つの未来シナリオ

そこで、第5章では、どうなる?どうする?東京のゆくえという議題設定から、4つの未来シナリオを考えてみた。

そこでの前提は、数十年後を考えるにあたっては、過去の東京の延長というトレンドの線上で未来の都市像は描けないという結論であった。それを可能とするために、シナリオプランニングの手法を用いて都市戦略を描き出すことにした。シナリオ・ライディングでは、未来を決めるキー・ドライビング・フォース(KDF)の設定が不可欠であるが、それを三点に集約した。

すなわち、活力再生のための「規制緩和」・「オープン化」を1つ目のKDFとした。競走力強化のための「競走促進」」・「選択・集中」を2つ目のKDFとした。そして、魅力向上のための「パラダイム・シフト」「社会構造変革」を3つ目のKDFとした。

その結果、シナリオ作成は「悲観型」から「理想型」までに至る4種類のパターンを描き出すこととなった。
【豪雨シナリオ】(悲観型)では、機能不全に陥った衰亡都市・東京の衝撃を描いている。
【長雨シナリオ】(トレンド下降型)、満身創痍の内向き都市・東京の不安を描いている。
【曇天シナリオ】(トレンド上昇型)では、。脅かされるベテラン巨大都市・東京の憂鬱を描いている。そして、
【青空シナリオ】(理想型)、では、世界を牽引する「和」のグローバル都市・東京の魅力が実現している。

言うまでないが、この「青空シナリオ」の実現がもっとも好ましい状況となるのである。そのために、第6章で東京の未来戦略を成功に導くブレークスルー・プロジェクトを提言する。

東京のブレークスルー・プロジェクトを導き出すための、戦略メニューは、

① KDF1では、確実に進行する高齢化と生産人口減少に伴う経済停滞を回避するために「規制緩和」および「オープン化」により都市に活力を呼び戻せるか?
② KDF2では、「競争促進」にもとづくクオリティアップ、強みと弱みをふまえた「選択・集中」により都市競争力を強化できるか?
③ KDF3では、強みの相乗効果による劇的な「パラダイムシフト」が「社会構造の変革」をもたらすことにより都市の魅力をさらに高められるか?

という課題に対する解答である。

■ ブレークスルー・プロジェクト

東京の未来戦略実行メニューを具現化するためのアクションプログラムとしてのブレークスルー・プロジェクトとしては、まず、都内4地域2530haに未来の質の高い開発を進める都市モデルを描くことのできる空間としての「特定都市再生緊急整備地域」の存在と、それとほぼ符合する「国際戦略特区」の指定がなされたエリアが焦点となる。このエリアで東京都が提案している「アジアヘッドクォーター特区」では5年で500社に外資企業を集めることを目標にしているが、その実現はどうすれば可能なのであろうか。

東京の弱点である都心から国際空港までのアクセス時間について、空港のキャパシティについては、成田空港と羽田空港を直結する〝成羽新線〟の敷設と新東京駅建設計画で世界への門戸を広げることができるのであろうか。

東京天然ガス発電所プロジェクトを契機に電力インフラのスマートグリッド化、電力の〝地産地消〟が進化し、ひいては循環型のエネルギー供給システムが確立されるのか。そして2020年東京オリンピック「後」を構想することの重要性。すなわち、オリンピックレガシープランに東京の未来像を示し、実現の過程を大会を通じて世界に示すことができるのか。などが今後の勝負となってくる。

こうしていくつかの象徴的なプロジェクトを、東京の未来戦略実現のためのブレークスルー・プロジェクトとして選び出し、戦略的に政策展開する必要性を論じてきた。これらについては、20年以上の長期のタイムスパンで考える未来シナリオの出発点としてのアクションプロジェクトとしてあくまで一例をとりあげたものであり、そのすべてを語るには紙面の制約があることを残念に思う。